『光る君へ』

今回のブックレビューは、NHK大河ドラマ「光る君へ」です。

申し訳ありません。正月疲れでまともに本を読んでいません。なので、手抜きの指摘を甘んじて受ける覚悟で、今回はテレビドラマ。それも放送が始まったばかりで終わってもいないものを取り上げさせていただきます。

NHK大河ドラマを見るのは、「篤姫」以来となります。篤姫が2008年の大河ドラマですから、14年ぶりになります。今回、見てみようと思った最大の理由は時代設定です。紫式部ではなく、平安時代という時代設定に興味を惹かれたからです。
NHK大河ドラマを振り返ってみると、平安時代は「1966年 源義経」「1972年 新・平家物語」「1976年 風と雲と虹と」「2012年 平清盛」くらいです。近年は特に少なかったことがわかります。どうも視聴率がとりにくいのが原因のようです。NHKですから視聴率を気にせず、様々な時代を取り上げて良いドラマを作ってもらいたいものです。

このコーナーは本を取り上げるコーナーですので、本と関連した話をしたいと思います。
「光る君へ」を見て、私が気になったのは劇中の話ことばです。藤原兼家の娘の詮子とその弟道長の会話など、当時の殿上人の家族間の会話には、現代のかなりくだけた言葉が使われています。当時がどうであったかは定かではありませんが、古い時代の大河ドラマになじんでいた私には相当の違和感があります。どうしてもドラマが軽く感じられてしまうのです。

この点については、文学にも感じられるものです。漱石、芥川、太宰など今日文豪といわれる方を読んできた世代からすると、現代作品のページの白い部分が多いこと、話し言葉が多いことなどが軽く感じてしまいます。私が学生のころ読んでいた本は、ページがしっかりと文字で詰まっていたような気がします。昔と今の文体を比較すると、数十年前の作品は硬質な文体で現在の読みやすい作品は柔らかな文体というのでしょうか。

現代の文学においても、過去の作品に全く引けを取らない素晴らしい作品が日々生み出されています。それは重々承知しているのですが、私はどうしても質感が違うと感じてしまいます。それは私の偏見であることも理解しています。しかし、このような部分というのは好みの問題でもあります。

こんなことを書いていながら、硬質な文体で書かれたものを読んでも、途中で投げ出しているので、恥ずかしい話なのですが・・・
 大河ドラマが軽く感じられるということを書いていたら、その本質は私自身の薄っぺらさにあることに気づいてしまいました。残念!

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