宝塚 容姿端麗問わず

読売新聞に「宝塚 容姿端麗問わず」という見出しの記事が載っていました。2025年4月入学される生徒さんの募集要項が変わったそうです。

これまでは、「容姿端麗で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」だった応募資格が、「心身ともに健康で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」に変わったそうです。

理由は、「時代や環境の変化を踏まえ、より相応しい方式や内容となるよう常に検討してきた」ということです。今の時代ということでしょうか。実際の採用に容姿が加味されないかというと、さてどうでしょう。個人的な意見ですが、宝塚歌劇団の本音は変わらないと思います。また、宝塚歌劇団が、団員に対して容姿端麗であることを求めることは、宝塚歌劇団として正しいことだと思います。

煌びやかな舞台の上で、男装の麗人と乙女が恋のドラマを繰り広げる夢の世界が宝塚だと思います。その夢の世界に出演する方々は容姿端麗であることを見ている方が求めているからこそ、宝塚歌劇団は容姿端麗を応募資格にしていたと思います。

昨今の世の中は、「人を見た目で差別してはいけない。」ということが変な風にとらえられているような気がします。これから先は、宝塚歌劇団さんの意見ではなく、私個人の意見です。

宝塚歌劇団が、応募資格で「容姿」を一つの基準とすることに何の問題があるのでしょうか。容姿端麗であることは基準にしてはいけなくて、例えば、歌の優劣は基準にしていいのでしょうか。何を基準にするかは、宝塚歌劇団のコンセプトに合うかなどの観点から、宝塚歌劇団が自由に設定していいはずです。

宝塚歌劇団が理由としてあげた、「時代や環境の変化を踏まえ、より相応しい方式や内容となるよう常に検討してきた」という言葉は、容姿端麗であることを盛り込むことが、社会から差別につながるととらえられるのを恐れたからでしょうか。そうだとすれば、社会が「差別」について過剰反応を起こしている社会に、宝塚歌劇団が慮ったということでしょうか。

今の世の中、受け取り側が「差別を受けた。」と言ってしまえば、それが勝ってしまうような風潮があります。そうすると、そのような世界では何も言えなくなってしまいます。どこかに行き過ぎている部分があるように感じる今日この頃です。

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