板付遺跡に行ってきた。

弊社は、月1で「まどかリビングニュース」を出しています。
私が営業している地域の情報を中心に、お客様などにお配りさせていただくように考えています。

と言っても、今年の3月から始めたばかりで、これから配布先を増やして、内容を充実させていく予定なのですが・・・

来月号の題材を探そうと「板付遺跡」に行ってきました。
この地区に住んで20年以上になり、「板付遺跡」は何度も近くを通っていたのですがなかなか行く機会がなく、気になっていたのですが行けずにいました。
今回、近くで「ファーミング活動」=「チラシ配布」を行った際、「板付遺跡」の看板を目にしたので行ってみることにしました。

板付遺跡の史跡の上には当時の竪穴式住居がいくつか復元され当時の生活を思わせます。板付遺跡に隣接して建てられている「弥生館」には出土品の一部が保管・展示されていています。

福岡市のHPからの説明は以下のとおりです。
板付遺跡
日本最古の稲作集落のひとつである板付遺跡は、集落、墓地、水田を持つムラを形成していた。標高11~12mの低い台地に集落を設け、東西の沖積地を水田としていたらしい。集落にはV字形断面の環濠をめぐらし、さらに台地の周囲を水田の用水路をかねた溝が取り囲んでいる。弥生文化が成立期に達した時代の重要な遺跡として、国指定史跡に指定されているのも納得。

板付遺跡弥生館 | 福岡・博多の観光情報が満載!福岡市観光情報サイト よかなび

意外なことに「板付遺跡」は、何とわが国で最古の稲作集落跡のひとつ。この価値ある遺跡を整備・公開しているのが「板付弥生のムラ」だ。弥生時代の水田や竪穴住居などが…

板付遺跡からは慶応3年とか大正5年とかに銅矛などが出土していたのですが、昭和25年中村志外顕(しげあき)氏が縄文土器と弥生式土器の共伴を発見したことを契機として国による発掘が始まったとあります。
昭和25年と言えば、まだまだ戦後が色濃く残る時期だと思います。その時期に歴史を探していた方がいたことに少し驚きました。

正直に言うと、「ファーミング活動」=「チラシ配布」に少し疲れたので、気分転換に「板付遺跡」に行ってみたのですが、気になっていたことが解決したし、気分転換にもなったし、「まどかリビングニュース」のネタにもなったから、良しとしましょう。

みなさんも、「ブラタモリ」よろしく、ご自分の身近な地区を散策してみたらどうでしょうか。

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