50にして惑う
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」。
孔子は40歳で惑わず、50で天命を知ると言っていますが、現代の多くのサラリーマンが悩んでいるように、僕は定年が近づいてきた50でいろいろと悩んでしまいました。
このままサラリーマンでいれば、生活はできるかもしれないけど、やりがいから遠ざかっていく人生を選ぶか、それとも、生活の安定は約束されたものではないけど、自分がやりたいことをやる人生を選ぶのか。
頭の中で、矢沢永吉の「鎖を引きちぎれ」が繰り返し回ります。
鎖に縛られて、お前は生きるのか。あきらめた顔のまま、老いぼれしまうのかい。
あきらめた顔のまま、老いぼれていく人生は送りたくない。選んだ道は険しい道なんだろうけど、人生を振り返れば、大変な時こそが楽しい思い出に変わる。
悩んだ結果、僕は、自分の人生が終わる際に自分の人生を後悔しない方を選ぼうと決心し、起業することとしました。
サミュエル・ウルマンの「青春」を思い起こします。
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる
僕はこれから、青春を謳歌します。